@atsushi__sugimoto
忙しいカフェ
子育てはてんてこ舞いながらも、なんとか人々に助けられながらやりこなし、また長男を育てた日々と同じような育児にどっぷりな毎日が、ものすごいスピードで過ぎていった。
できる限り食べものや使うものをホームメイドで作り、地球にかける負担を最小限で生きられるようにと工夫した。料理は楽しくても、2歳以下の2人の面倒を見ながら色々とこなすのは至難のワザ。
2人の年子を布オムツで育てると決めた以上、妥協せず頑張るのが良くも悪くも私のこだわりと頑固さ。重曹とお酢でオムツを洗い、干すのも一苦労、取り込めば山のようになったオムツに囲まれて生活した。
ご飯を作り、汚しては片付け、溢れたごはんが散らばる床を拭いてはまた次のご飯を仕込む。1人をベビーカーに入れて1人を胸に背負い、外に出て遊び、家に戻って静かな時間を過ごす。呼吸するように一日のリズムを作り、綺麗なものを食べ、一日ずつゆっくりと育っていく子供達を見守る……なんて気が遠くなるような過程なんだろう。
朝起きてから座った記憶がない日もあった。
これをあと何年やるんだろう、でも一生ではない!頑張れ。と、自分に言い聞かしていたときに、あることを思いついた。
“そうだ、私はめちゃくちゃ忙しい人気カフェで働いていると思うようにしよう。”
馬鹿らしく聞こえるかも知れないけど、そう思うようになった途端に気分が変わり、スイッチが入り楽しくなった。
庭で野菜を育て、その野菜で美味しいものを作るカフェ。店内にも植物をたくさん植えて、おしゃれな空間にしよう。
そうこうしている間に、子育てにだけ没頭している感覚が軽くなり、趣味でアレンジしていた植物などの販売を実際に始めるようになった。家にいても、子供が小さくても、好きなことってギブアップしなくても大丈夫なのかもしれない、そう思えてきた。
だいぶスローダウンしたけれど、また自分のパッションが戻ってきて自分の世界というものが見えてきた。例えるなら、真っ暗なトンネルの中を歩き続け、ようやく出口の光がちいさーく見えたような感じ。
「インスタグラムを始めて、フェイスブックもそれと連結したページを作ってごらん。」
パートナーのマイクが提案をしてきた。
「こうやって君が日々楽しんでいること、苦悩していること、発見したこと、レシピやクラフトをどんどん記していく、そして3年後、5年後、子供達から少し手が離れたときに、何かしたいと思えば、そこには既に沢山のオーディエンスが君のことを待っていてくれる。何か売ってもいい、ワークショップをしてもいい、君がしたいことなんでもできる日がやってくる。だから今はその土台を作る時間なんだよ。」
物は考えようとはこのこと、私の心はキラッとスパークした。

@atsushi__sugimoto
家族か?仕事か?究極の選択
マイクが手がけていたサーフフェスティバルは年々大きくなり、私も日本側のメディア部門などを担当することになった。
彼は全ての時間とエネルギー、頭と心のスペースをフェスティバルにつぎ込みつつも、もちろん子供と家庭を犠牲にはせず、しっかりとバランスを取ろうとしていた。300%くらいで動いてる様子を見ていると文句は言えなかった。
でもそれと同時に家族に亀裂が入り始めていることは確かで、見て見ぬ振りはできなかった。
急激に大きくなったフェスティバルのコンセプトは、儲けを考えずコミュニティーに密着したオーガニックなイベント作り。環境を意識していない大手の出資は全て断った。
その裏では資金集めも困難となり、メンバー同士の意見の食い違いも生まれた。
貯金で食いつないだ3年間。
私は2人の小さい子を抱えて働けない身。そんな自分にも苛立ち、彼の忙しそうな後ろ姿を眺めながら、寂しさと孤独に毎晩のように泣いた時期もあった。
なぜ他の人たちと同じように仕事に行き給料をもらって、家族というものを楽しみ、お金を貯めて家族旅行に行って……そんな普通の暮らしを私たちはできないのか?
フェスティバルはバイロンの町やコミュニティにとっては素晴らしい存在だった。でも、私たちファミリーにとってはパパを盗む敵のように感じてきた。
私はなんとか現実を無視して乗り切ろうと考え、サーフィンに没頭した。一般的にはこういう状況ではお酒に走ったり、浮気などでその不具合をごまかすものかもしれない。
それが私にとってはサーフィンだった。
子育ての合間をぬって、全ての時間を海で過ごすことで喜びと満足感を得ようとしていた。体力も戻り、新しいボードもオーダーし、楽しさを取り戻していった。
しかし夫婦の喧嘩は絶えず、イベントも内輪の問題が出てきたりと色々と難しくなってきた。
もうこれ以上誤魔化すのは無理かも……と思い出した。
「私たち家族を取るか、イベントを取るかどっちかにして欲しい。」
私は彼に突きつけた。
彼にとってはまさに地獄の選択。
不満が募るハッピーではないこの生活を、何とかして変えなければと強く感じた。全くいい感じにフローしていない。
でもその2つの選択を突きつけ彼を崖っぷちに立たせることで、もしかしたら彼から大切な夢を奪うことになる。もしくはまだ始まったばかりの小さなファミリーを、私自身も失うかもしれない。
家族を取るのか、夢を追うのか。
彼はがっくりとし、時間が欲しいと言った。
もちろん彼にとっては家族が全て、失う選択はしないだろう。その時間はどうやって夢を諦めるかを考えるためのものだったかもしれない。
子供が欲しいおもちゃを諦めるように、感情を消化しなければいけない。でもそれはおもちゃのようなインスタントな感情とは違い、もっともっと奥深いもの。
ベッドで泣いている彼の背中を見て、私も泣いた。
でも今シフトしなければ私たちは両方を失ってしまう。
その辛さを我慢してやり過ごすことだって出来たはず。でも私の心にはこのままではダメだと言う確信があった。だから大きく1歩前に出て思いを口に出来た。
それは若い頃から聞いている心の声と同じこと。
聞こえる声、心にシミのように残る感情を無視してはいけない。
マイクは最善の方法でフェスティバルを手放してくれた、それは全て家族と私の為に。そしてごく僅かながら手元に残ったイベントからのお金があった。
「このお金でキャンパーを買おう、大切な家族の時間をもっと沢山過ごせるように!」


@carlybrown
自分を取り戻すエレメント
子供達が保育園に行くようになると、私は多肉植物をアレンジする仕事の傍、ブログを書くことが楽しくなり、それはいつしかライターという仕事へと繋がっていった。
サーフフェスティバルのイベント運営中に書いていたブログや、雑誌の記事の延長で仕事が入ってくるようになり、私は少しづつ社会へと復帰していった。
日本の『HONEY』という雑誌のライターとしての仕事がレギュラーで決まると、外へ取材しに行き、いろんな人と関わるチャンスが増えてきた。
記事の内容はビーチライフ、クリエイティブに生きている人、海のある生活など私にはぴったりの分野だったのと同時に、フェスティバルで培ったネットワークを最大限に活かし、たくさんのアーティストとコラボレーションをすることができた
影響力のある人をインタビューしたり、その生き方をレンズを通して一緒に表現しようとしてくれるフォトグラファーたちと仕事をするたびに、私はどんどんとインスパイヤーされ、今私が感じている気持ちをもっともっと沢山の女性とシェアしたいと思うようになった。
海外を夢見た10代、病気で道を迂回させられた20代、運命に導き出された30代前半、母親という大役を受け、なんだか全てのコントロールを失った気がしている30代中盤。
“きっと私の今までの人生を記事に反映できるはず、そして似たような道を歩んだ人、今迷いの真っ最中な人、一山を歩き終え振り返っている人。全てのステージにいる女性を自らが持つパッションで奮い立たせたい” そう思い始めた。
「よし、君のウェブサイトを作ろう!」マイクはそう言って空いている時間を使いシンプルなサイトを作ってくれた。
「これが君のプラットホーム、ここで好きなことを繰り広げてそれが君のパッションやビジネスにつながると良いね。」
私にとっては大きなプレゼントだった。
また自分のお店を持てたような喜び。
私はそのページを使ってレシピやインタビューの裏側、インスピレーションを与えてくれる女性たちを紹介した。
海で過ごす時間とクリエイトする時間がバランスよく、子育ても、自分探しもなんとなく様になってきたかも知れない。
一粒一粒の雫が集まり小川が生まれるように、私の人生がまたゆっくりと流れはじめた。
Writer : Maki 3 little spirals
次回の第9話では、私が子育てから学んだマインドのお話をじっくりとシェアしたいと思います。それは子育てだけに言える話ではなく、子供がいてもいなくても、人生のいろんな場面と密接している切っても切れない学び。
その渦中にいるときには辛くても、その体験を通して返ってくるものは人生を輝かせる宝箱のよう。
ではまた第9話でお会いしましょう。