32歳夏の終わり、人生で一番無気力だった3日間

今思うと、 2016年9月、あの頃の私は軽い鬱状態だったかもしれない。何も食べずに一日のほとんどの時間をベッドの上で過ごし続け、気づいた頃にはもう3日が過ぎていた。いよいよこれは異常事態だぞと察したのか、私の胃はキュルーン、キュルーンと、何とも弱々しく警告サイレンを鳴らしていた。

あの3日間でしたことといえば、数回のトイレと、意識を伴わないネットサーフィン。その間も、ピコンピコンとクライアントから進捗状況を確認するメールがスマホ画面にポップアップで表示される。

その頃すでにフリーランスだった私にとって、クライアントのメールを無視することは生命線を断つにも等しいこと。それでも私の脳は、美少女戦士セーラームーンで言うところのショート寸前どころか、全思考回路のシャットダウンを絶賛継続中。このままじゃダメだと理解していても、司令塔が麻痺してしまった私という物体は、感情も何も伴わず、何の行動も起こせずにいた。

そんな状態になったのは、当時付き合っていた彼と別れたことがきっかけだった。別れた彼とは、何も大恋愛だったわけではない。何となく出会い、向こうからのアプローチの末に何となくほだされ、付き合ってみるのも悪くないかと興味本意に近い感覚で付き合い始めた。

半年という短い交際期間の間ほぼ遠距離(東京—ロンドン)だったし、どこに惹かれたのかと改めて考えると、もっともらしい理由は何も見つからない(多分、背が高くてちょっとぽっちゃりしてたから?)。正直、彼がどんな人なのかをしっかり知ろうともしていなかった。確実に言えることと言えば、私はただ、人寂しかったのだ。

精神的な孤独を抱えていた 30代の始まり

31歳になった頃、フリーとして本格的に活動を始めた。ありがたいことに仕事もある、友だちもいる、そして何でもある東京に住んでいる。不自由なことは何もなかった。

それでも、私はいつも寂しいという感情を抱えていた。とにかく、寂しかった。毎日満たされなかった。心底私のことを理解してくれる、理解しようと努力してくれる、誰かが欲しかった。だから、「好きだ」なんて言われると、「この人なら私を理解しようと努力してくれるかもしれない」とあっさりほだされてしまっていたのかもしれない。

彼からのアプローチで始まった交際は、「やっぱり俺たちは合わないと思う」という、体温を一ミリも感じない、何とも簡素なメッセージの一文で破局を迎えた。

何だこりゃ。私はそのメッセージを見た瞬間、文字通り、何だこりゃ、と言った。正直、破局を迎えることは薄々感じていた。遠距離恋愛(ありがたいことに時差付き)だったからふたりの関係が機能していただけのこと。別れる直前、初めて丸々1カ月を一緒に過ごす機会があった。それは、お互いがパートナーとして完全にミスマッチであることに気づくには十分過ぎる期間だった。

にしてもよ? メッセージで破局って。自分で言うのも何だけど、それまで人との関係をなによりも一番大切にして生きてきたつもりだった。一度でも好きだと思った人には、真摯に向き合いたいと思って生きてきた、つもりだった。それが、まるでコンビニでコーヒーでも買うような感じで振られるものなのか。

あ、食後のコーヒー飲みたい、手っ取り早くコンビニコーヒーでいっか。あ、別れたい、話すの面倒臭いからメッセージでいっか。みたいな。今までのふたりの時間を「Ctl+A」で全選択して、「Delete」キーで一瞬にして消し去るような、何ともお手軽なエンディングだ。

今でこそ、私が今の海外ノマド生活を始める最後の一手を与えてくれた彼に感謝しているほどだけど、当時の私にとっては、3日間飲まず食わず状態になる程の衝撃だった。大して好きでもなかったくせに、我ながら何とも仰々しい打たれっぷりだ。それだけ、当時の私は精神的に自立できていなかった。東京での生活をまるでサバイバルゲームのように感じていて、疲れていた。そして、誰かに寄りかかりたくて、しょうがなかった。

「帰っておいで」私を救った親友の一言

「みなちゃん?」人生で最も無気力な3日間を過ごした後、ようやく起こした初めての行動が、沖縄に住む親友に電話をしたことだった。彼女には、彼と過ごした1カ月の間、衝突があるたびに話を聞いてもらっていた。

「別れたんだよね」。笑いながら、いつもの軽いネタを話すような感覚で伝えるつもりだった。当時32歳。ハッピーエンドを迎えない恋愛だってあることを、それなりに見て、それなりに経験してきている。ダメなものは、ダメなのだ。だから、ダメだったと、起こった事実をただ伝えるだけだ。

それでも、頭ではわかっていても、こころが追いつかない時もある。親友のいつもと変わらない声を聞いた瞬間、それまで絶賛ストライキを続けていた私の思考回路は、ダムが決壊でもしたのかと思うような勢いで一気に流れ出し、無意識に感じないようにしてきたありとあらあらゆる感情が、連続打ち上げ花火のようにパパパパパンと体内で同時に発火。32歳にも関わらず、私は嗚咽を漏らしながら泣いた。

電話口でメソメソと泣く私の鳴き声を、ただただ黙って聞き続けてくれた親友。ひとしきり泣いて私が少し落ち着きを取り戻してきたことを確認した彼女は、ゆっくりひと言、こう告げた。

「帰っておいで」

そして淡々と、これから私がすべき3つのことを提示してくれた。

  • 沖縄行きのチケットを今すぐに購入すること
  • 家の掃除をすること
  • とりあえず十分だと思える量の服をスーツケースに詰めること

歳を重ねるにつれて、私たちはいつからか無意味な言葉で慰め合うことはしなくなった。その代わり、お互いが辛い時には、ただ側にい続けるようになった。いつもだったら、しばらく「元気?」「この写真ウケるよ」なんて軽いLINEを送りあうことで互いを案じていることを示していたけれど、この時ばかりは、彼女の親友センサーが異常事態だと察したらしい。彼女が放った「帰っておいで」の言葉に込められた百万度の愛の温度を、私は一生忘れない。

そのまま電話を続けながら無我夢中でパソコンを開いて翌日の沖縄行きの航空チケットを購入し、電話を切った後は無心で家を掃除して、クローゼットにある服を何も考えずに選んでスーツケースに詰め込んだ。そして翌日、私は全てから逃げるように沖縄に飛んだ。

Writer : Fukino

Message

いきなり赤裸々な話で失礼しました。皆さんもうご存知の通り、当時32歳だった私は、東京での生活に疲れていました(笑)。でも、海外ノマド生活を始めようと決意した理由は、そんな「疲れる東京での生活から逃げるため」ではないんです。

次回の後編では、ひよって沖縄に帰った私が、自分なり導き出した答えについて綴らせていただきたいと思います。世の中にはこんな30代女もいるものかと、興味本位ででも、後編も覗いてみてもらえるとこれ幸いです。

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