あれは夢だったんだろうか、と思えるほど、撮影の日はあっという間に終わってしまい、私も通常業務に追われる日々に戻った。今日は撮影メンバーで打ち上げをすることになって、宮藤さんの選んだ恵比寿のビストロに皆で集まっている。
「俺がくせ者ってどういうことですか。」
私の隣で宮藤さんがグラスを傾けながら、スタイリストの遠藤さんにくだを巻いている。
普段二人で飲む時はあまり、というか全くもってハメを外すような飲み方はしない人だけれど、今日は人も多いからなのか、普段より早いペースでお酒を飲んでいた。すでに少し酔っぱらっている様子で、そんな宮藤さんを見るのが初めての私は、さっきからなんだか落ち着かない。
「くせ者でしょ! だから前の奥さんにだって逃げられたんだから!」
遠藤さんは、お酒に強そうな見た目なのに案外そうでもないらしく、スパークリングワインを2、3杯飲んだ時点でかなり気分が良さそうになっていた。撮影の時も会話の絶えない人だったけれど、お酒が入るとさらに饒舌で、結構きわどい発言も飛び出してくる。
私と宮藤さんが、そういう関係にあることに勘付いて、何か言い出すのではないかと思うと、気が気じゃない。
それに、さっきから酔った宮藤さんが私に体を寄せてきていて、まるで恋人同士のような雰囲気を匂わせようとしていることにも、内心動揺していた。撮影も終わったし、もう周りにバレてもいい、と思っているのか、単に酔っ払って理性を失っているのか分からないけれど、そろそろ肩でも抱かれるんじゃないかと思うと、冷や汗が浮かぶ。
加賀美が、私の斜め前に座っていて、宮藤さんが私の方に体を寄せる度に、ちらりとこちらを見る。その度に目が合うけれど、私は加賀美に笑いかけるような気持ちの余裕が全くなく、自分が一体どんな顔で加賀美を見ているのかも分からないでいた。
色んな意味で八方塞がりなこの状況に、いつ窒息してもおかしくない。
「逃げられてないっすよ! 円満離婚です、円満離婚。」
「またそうやってキレイ売りして! ほんとそういうところよ! 宮藤くんの亭主関白すぎる性格に奥さんがついて行けなかったから離婚したんでしょ?」
宮藤さんが亭主関白なさまがイメージできなかった私は、取り分けられたパスタをゴクリと飲み込んでしまった。
「ひどいひどい! それ言い方ですから。俺はただ、女は家庭に入ってほしいって思ってて、その辺の見解の違いがあっただけですよ。」
女は家庭に、のくだりに驚いて、思わず宮藤さんの顔を見た。
私が仕事の相談をした時はいつも応援してくれていたけれど、結婚相手には家庭に入ることを望んでいるんだとしたら、私はそういう対象ではないということなんだろうか。
さっきから白ワインを数杯飲んでいるのに、全く酔えず、急に胸苦しくなってきてタバコを欲した。紫煙を吸い込んで、少し気持ちを落ち着けたい。
「今時女は家にって、どんだけ時代遅れなのよ。今は女だって自立して働くのが当たり前な時代なのよ?」
遠藤さんが宮藤さんに向かって声をあげながら、同意を求めるように私を見た。完全に余裕を失っている私は、それでもなんとか遠藤さんに笑顔を向けて、グラスに残っていたワインを飲み干した。
グラスを置きながら、そっと加賀美の方に目をやると、宮藤さんの話には全く興味がない様子で、そっぽを向いてグラスを傾けている。
「共働きだったら、誰が子供育てるんすか。俺は専業主婦の母親の元で育ってるから、共働きで子育てするってイメージが全然持てないだけっす。」
その場にいた全員が、一瞬あっけにとられて宮藤さんを見た。
「はぁ? ちょっとそれ本気で言ってるの?」
「宮藤さん、それはほんと男性として最低な発言です!」
「お前、それはマジで時代錯誤すぎる発言だって。」
私と加賀美を除く全員が口々に宮藤さんを非難した。
私はといえば、驚きすぎて呼吸困難になりそうな思いでワイングラスを握りしめていた。私が見ていたのは、宮藤さんのいい面だけだったのだろうか。私に優しい言葉をかけて、仕事のことも前向きに応援してくれていたのは、一体なんだったんだろう。
「でも俺は、都ちゃんを幸せにしたいって思ってるんで!」
宮藤さんが、なんの前触れもなく、突然グラスを掲げて言い放った。私は思わず手にしたグラスを握りつぶせそうなほど驚いて、宮藤さんの顔を見た。
色んな感覚が脳内でスパークし、呼吸困難に陥りそうだ。
満面の笑みを浮かべる彼の表情とは対照的に、おそらく私は顔面蒼白になっているに違いない。
「え、何、二人付き合ってるわけ? え、そういうこと?」
遠藤さんが、驚いたように私を見て、声を上げる。あやうく「違います!」と言いそうになって、なんとか堪えたものの、加賀美の手前、宮藤さんに合わせることもできずに、釣り上げられた鯉のように口をパクパクさせてしまった。
なんとか場を取り繕おうとしたものの、はやし立てる皆の嬌声にかき消されてしまう。
加賀美だけが、真顔で私の方を見ていた。
その顔が驚きなのか、軽蔑なのか、今この場でそれを確かめる勇気もすべもない。
Writer : Miranda